与えることはいただくこと
カタチあるものは、 人に与えてしまえば、自分のもとには残りません。 自分は豊かでないから人に与えるものがない… 与えることはできない… ほんとうにそうなのでしょうか? 考えてみてください。 いったいだれが 「あなたが所有してよい」ことを許したのでしょうか。 土地にしろ、モノにしろ、お金にしろ、 「これは自分のものだ」と主張することは、 人の尺度で考えた概念にすぎません。 「与えたらなくなってしまうもの」は そもそも自分のものではない のかもしれません。 自分の存在がこの世から消えてしまうときに 冥土に持ってゆけないものは、 すべて、天からの預かりものです。 与えてもなくならないものこそ、 唯一「自分のもの」なのであり、 人様に与え続けることができるものなのです。 笑顔で挨拶する 町のゴミを拾う 困っている人を助ける 頂きものをみんなで分かつ 自分の世界観を表現する 自分の経験を人のために役立てる たとえ小さな行為であったとしても、 与えることは立派なことです。 そして、 与えることは めぐりめぐって 利子のついた「おかげ」として 自らいただくことに つながっていくのです。 関連記事:死んで冥土に持っていけるものについてはこちら
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